お侍様 小劇場

   “真夏の狂詩曲(ラプソディ) (お侍 番外編 62)

 

        


 その取引先や提携先が海外にも多数という、顧客層も馴染みの多い得意分野の分布も多岐にわたるような巨大商社ともなれば、業務形態もまた日本の習慣のみに縛られてはいられない。年度感覚こそ、西暦のカレンダーで統一して支障がなくとも、キリスト教圏に“盆休み”という概念はなく。国内では、それこそ取引相手も市場も休みになるのでと、大会社でさえラインが停まるほどの標準的風物詩であれ、欧米のバイヤーが必ずしも理解してくれるかは疑問であり。それを言うなら、諸外国も夏のバカンスに入るのではという見ようもあるけれど、オンライン化の発達で国家間の時差感覚が薄まっているように、そういった折でも眠らぬのが世界市場である。ましてや今年は、百年に一度と言われているほどの世界的な大不況にどこもかしこも見舞われており。よって、世間並みの夏休み、盆とその前後による長期休暇を優雅にも堪能している場合ではなかったりするようで。

 「……とのことで、現地にて指示を待つと。」
 「そうか。では、それらはそのまま東アジア渉外担当へ回してくれ。
  ただし、○○海での海難事故の報も添付してだ。」
 「はい。」

 デスクもラックも、仕切りのパーテーション
(ついたて)から ダストボックスに至るまで。内装から備品まで、どこを取ってもスタイリッシュな、それはそれは機能的なオフィスに似合いの。知的で洗練された装いの社員らがきびきびと立ち歩くフロアは、お仕着せ事務服姿の者が一人もいないという眺望からだけでも、特別職かかわりの部署だと知れて。上司からの鷹揚な会釈と共に、デスク越しにファイルを受け取った若々しい男性が、颯爽と自分のデスクへと戻ってゆく先。引っ切りなしにかかってくる電話のベルやPCのキーを打つ音などにて、これでもかと騒然としている…訳では、全くないのだけれど。整然とした室内に満ちた空気は、何とも躍動的でそこが何とも小気味いい。いかにもなプレートが掲げられている訳ではないけれど、一般職からは憧れの部署として注目されてもいて。そうかと言って決して“花形”とも言えぬ、

  “名前は出ないまま、地道な仕事に奔走するばかりの裏方稼業ですって。”

 国内をだけ重点的に見るばかりでは済まない立場の役員格、提携や協力への調印という責務を負うレベルの特別職社員の皆様も大変ならば。そんな彼らの執務における資料集めや業務上でのフォローに微調整、業績結果の整理に管理などなどと。社でも屈指の練達である御仁らが存分に辣腕ふるい、大胆かつ繊細な仕儀を講じることが出来るよに、陰ひなたなく付き従ってのフォローに徹する有能な秘書軍団の働きを。そのまた上という包括的見地にて監督し、水も漏らさぬこまやかな采配で連動管制しておいでなのが。歴代最年少にてその職へと就いた、伝説の特別秘書室長、島田勘兵衛その人である。一見 文芸か芸術方面のお人かと誤解されそうな風貌のその最たるところ、少々くせのある濃色の豊かな髪を広い背中に垂らすほども伸ばしておいでで。さすがにこの時期は見栄えが鬱陶しいかもとの配慮か、緩くながらもうなじにまとめておいでのところがまたお茶目vvと、こそり部下らがはしゃいでいたりし。

 「館山くん、晴海へ向かうなら早めに出ないと、
  帰省や行楽に向かう車の渋滞に引っ掛かってしまうぞ。」
 「あ・そういえば、
  例のETC特別待遇、平日適用が始まったそうですね。」

 まだ土日だけのそれとされていた、高速道路の料金優遇が、8月は6日7日、13日14日もと、その適用日が拡大されたのだそうで。しまった巻き込まれる前にと、ブリーフケースを抱え、あたふた飛び出してった、中堅どころの男性秘書殿の勇姿を見送りつつ。そんな彼と入れ違うよに、コーヒーを運んで来た別の秘書嬢がくすくすと微笑う。

 「ウチの母も、今年の盆も帰って来ないのかいと電話して来ましたわ。」

 6日から早速始まっていた交通渋滞をテレビのニュースで見て、おや、もうお盆の渋滞かと早合点したらしくってと。やんわり微笑って語った黒髪の室長補佐殿のお言葉へ、延べられた白い腕の影がその真下の濃色へとよく映えて映り込む、丁寧に磨かれたデスクの上へ勧められたコーヒーに会釈をし、こちらさんも穏やかそうに目許をたわめ、

 「そういえば、昨年は済まないことをした。」
 「あ、いえ……あの、そんな。」

 思えばそれも、この大不興の前兆だったのか。昨年の盆の時期、外商部が妙に慌ただしかった煽りを受け、特別秘書室の顔触れも夏休みをとる余裕はなかったのを思い出した、精悍重厚な島田室長。勿論のこと、皮肉として持ち出した補佐嬢ではないことくらい、判っておいでなその上で、

 「ご実家のお母様に、今年は大丈夫だと伝えておくのだな。」
 「はい。」

 日本人には珍しく、聡明そうな額の下、眼窩がやや窪んで彫が深い、何とも男臭い鋭角な面差しをなさっておいでの室長は。舶来仕立てだろうかっちりした仕立てのスーツがいや映える、長い手足に頼もしい肩、持ち重りのする大きな手に、雄々しくも厚みある胸板、広い背中という、頼り甲斐ありまくりな体躯をしてもおり。外国からお迎えしたバイヤーや関係者の皆様さえ、おおナイスミドルと称賛するよな男ぶりでおいでなのに、澄ましてひけらかすこともしない、気障で鼻につくよな素振りも見せない。鷹揚さと繊細さ、知性と精悍、ともすれば相反する二極を絶妙に兼ね備えた、そんな小癪な壮年であることが、目の肥えた出来る秘書嬢らをうっとり酔わせ。目の保養とそれから、リフレッシュのためのビタミン代わりとなっていようとは………知らぬは本人ばかりなり?
(苦笑)

 「……。」

 それぞれが自分のデスクへと戻って、ふっと一人になったささやかなひとときが出来。ちらと話題に上りかけたそれ、世間様ではその話題で持ちきりのお盆も、自分にはあまりに縁のないこと…な筈であったが、

 『久蔵殿がね、今年は合宿がないそうだからって。』

 部員同士の懇親も兼ねたものとして、高原の道場つきの宿舎にて催されるとあって、去年はいやいやながら旅立ったそれが。今年はこれまた例の新型インフルの余波で中止。学校へと登校しての練習も、ほんの1週間足らずとはいえ取りやめとなったのを、奇跡のような至福だと一番喜んでいたのが…意外にも七郎次の方であり。

 『それで、ほらあの。
  スーパー温泉? いやえっと“スーパー銭湯”っていうんですか?』

 何種類ものお風呂があって、エステサロンやマッサージサービスのお部屋もあって。車で行けばそう遠くはないところにあるって、ヘイさんから訊いていて、いつか行ってみたいなぁって思ってたんですよね。ええまあ、昼間なんかは手が空く時間帯もありますが、一人で行ってもしょうがないじゃないですか。ヘイさんだって忙しいお人ですから、そうそう暇な時間が重なるってもんじゃあなし。それに、

 『ああいうところは、家族で行くのがまた楽しいんですよvv』

 洒落た旅館へ遠出するんじゃあない、あくまでもお家の延長感覚で。でも、とっても大きなお風呂に、のびのび手足伸ばし合って一緒に入るのが楽しいんじゃないですか、なんて。妙に力説していた、七郎次おっ母様。お盆の頃といや、帰省だ行楽だっていって皆さんもっと遠くへ行かれるだろうから、そんなに混みもしないまま堪能出来るかもしれない。あ・そうそう、当の銭湯も休みだったらしゃれになりませんよね、ちゃんと調べとかなきゃ…と。そりゃあ無邪気に喜んでいた様が、何とも言えず かあいらしかったものだから、

 『…、…、…。/////////(頷、頷、頷)』

 一緒に行きましょうねと直接誘われたようなもの。そんな久蔵は、当然のことながら 一も二もなくの大いに喜んで同意しており。そして、

 『……11日か12日にしてくれれば、儂も休みが取れるぞ。』

 視線は大きく広げた新聞の紙面へと落としたままにて。ぼそりと、その端っこにでも乗っけてくれぬかとの声を差し挟んだ御主だったりしたのへと。意表を衝かれ、え?と驚きつつも…白い指先で隠しかかったその口許は、間違いなく嬉しそうにほころんでいた、恋女房の可愛さよ。無論のこと、そういう健気なほど ささやかなお楽しみレベルじゃあない、金沢かどこかの、静かで申し分のないサービスが行き届いた、全室離れ家とかいう温泉料亭旅館だって、今からでもいともたやすく押さえられる、それはそれは辣腕な旦那様ではあったれど。そんなものへと強引に差し替えてしまうよな、大人げのないことなんて言い出したりゃあいたしません。めでたくも両想いの相思相愛となれたこと、そうなのだとの告白もらってやっとのことで実感出来た弾み、どうすることが彼をして心から喜ぶ心遣いかも、一つ一つ吸収中の勘兵衛様だったりするらしく。そして、

 『〜〜〜。』

 敢えて翻訳するなら、制約少ない身でどんな手だって持ち出せる大人は狡い…というところか。新聞を読みながらという片手間の、尊大にしてぶっきらぼうな態度で、なのにあっさりと母上を喜ばせてしまった勘兵衛だったのが、無性に口惜しかったらしく。せっかくの二枚目、涼やかで玲瓏なお顔を台なしにして、薄い口許、むむうと歪めてしまった次男坊だったものの。とはいえ、天衣無縫の傍若無人ではなくて、それがご当人の裁量が利く範疇内という責任あっての侭が利く話だというの、重々判っているものだから、

 『勘兵衛様も一緒して下さるんですって。良かったですねぇ、久蔵殿。』
 『……。(…頷)』

 そこは素直に“そうだね良かったね”という相槌を打っていたのが、可笑しかったやら可愛かったやら。何も常から心底憎しと恨み合ってる訳でなし。先日の帰宅が随分と遅くなった折も、勘兵衛がよっこらと腰掛けたソファーの背もたれへ、腕を敷いての頬を伏せ。こちらをじぃ〜っと覗き込み、目顔で何やら案じてくれていた様子なぞ。物言えぬゴールデンレトリバーか何かの、つぶらな瞳を連想させてくれたよなぁと。

 「……(ふふ)。」

 ああ、あの無愛想次男の表情や感情が読めるようになれただなんて。こうまで心豊かになれるほど満たされているのだなぁと、今現在の幸いをしみじみと噛み締めておいでだった室長様。窓の外に広がる、高層ビルだからこそ望める果てしない夏空に、やんわりと眸を細めておいでだったのだけれども。

 「…………っと、待って下さい。確認とご承諾を得てからでないと部外者の方はこのフロアへ入れる訳には、」

 “………んん?”

 そろそろ昼下がりの休憩時間に差しかかろうかという頃合い。順次 昼食に出ていた内の、遅いめに出掛けていた者らが、三々五々戻ってくるのに入り混じり。何だか不穏当な気配を帯びた声が聞こえて来るのに気がついた。結構大きな社屋の、この辺りのフロアは内部事務の、しかも社外秘取り扱い部署のみという特別エリア。他にも気づいた者はいて、何だ何だと来た方を肩越しに振り返る中。騒動の張本人が…張本人たちが、何とも珍妙な様相で、ずりりずりりと特別秘書室を目指しておいでなのが、廊下に向いたガラスの壁越しに見通せたと同時、

 「……何をしとるか。」

 一応は神聖な職場をそれも執務中に騒がせたのだから、はた迷惑な騒動には違いないけれど。それが見知らぬ者のやらかしたことならば、案外と微笑って済ませていたかも知れぬ。セクレタリィ・クロークについていた女子社員を約一名、腰に縋りつかせての引き摺って。カーペットが敷かれた廊下をずりりずりりと、仔細かまわず前進して来たそのお人こそ、

 「久蔵、ここは部外者は入れぬと。」
 「申し訳ありません、島田室長。」

 私もそうと申し上げたんです、お越しになられた旨をお知らせしますのでしばらくお待ちをと、と。時に別部署の肩書持ちの“長付き”が、筋違いなクレーム抱えて乗り込んでくることもなくはないのへと、敢然とした態度で応対しきる、結構 頼もしい女性でもあること、勘兵衛も重々知っているお嬢さんが、今はちょっぴり涙ぐんでおいでなのが痛々しくて。まだ高校生、しかも細身な体格でお顔は端正。今時の若いのがいくら頼りないと言ったって、もちょっと覇気があろうにと。あまりの静かさ大人しさから、却って“おや”と目が行くような。そんなタイプの青年が、だのに…この痩躯のどこにこんな馬力があるのやら。ここでまずはと来客を留め、上司の了解得てからじゃないと取り次がぬが原則の関所、力づくにて破らんとした狼藉者だったとはと、ギャップがあり過ぎて さぞかし驚いたことだろて。それへと、いいんだいいんだ気にしなさんな、こっちこそ悪かったねウチの者がと。力づくなんかじゃあなくの手際よく、青年の腰辺りへがっぷり組みついていた白い手を外させてやり。全身をかけてもと引き留めていた彼女の、その全身の重量すべてを片手だけで引き受けての支えてやって。まるで“お嬢さんお手をどうぞ”という構図、揺るぎもさせずに取って見せれば。

 「あ………。////////」

 一瞬はっとし、それから見る見るとその頬を染めてしまった受け付け嬢。乾いて暖かな大きな手は、そのまま彼の器の大きさをも示しているようで。遠目に見ていても男らしいなと憧れのそんな手へ、もったいなくも幸運に、こうしてじかに触れただなんて。それどころか、こうまで間近にその精悍なお顔があるなんて。伏し目がちになってコーヒーをお飲みになる横顔がどれほど雰囲気のあることかとか、難しい案件の書類を次々にさばくその合間、時折ふっと窓の遠くを眺めておいでの深色の眸の、物思いに沈んでいてだろう何とも言えず切なげな感傷誘う趣きが素敵だとか。同じ受け付け嬢同士でこそこそと囁き合ってる憧れの対象が………、


  “あああああ、こんなことって あっていいの?/////////”





 硬直してしまった同僚を迎えに来た、相棒の受け付け嬢 Bさんへ彼女(Aさん)は任せることにして、さて。同じフロアの空いていた小部屋を見繕い、そこへと場を移して、さてさて。置きっ放しになっていた、それでも質素なパイプ椅子じゃあない…オフィスで使っているのの予備だろう、優美な曲線もスタイリッシュなデザインチェアに、義理の父子で腰掛けて。自分を訪ねて来たらしい、白い開襟シャツに濃色ズボンといういかにもな制服姿の久蔵を、仕切り直しとばかり あらためて見やった勘兵衛だったが。

 「………如何した。」

 ゆるやかなくせがあることで裾のまとまりが悪く、その結果、ふわんふわんとした軽やかな印象の髪形になってしまう金の髪に。同世代の少女にだって、こうまできめの細かい、しかも深みのある白い肌をした子はそうそういなかろう、そんな白さの細おもて。それを、切れ長で赤い双眸とすべらかな頬、緋色の品のある口許という、冴えた印象の美貌でかたどった男子高校生。若木のようにしなやかな痩躯と、寡黙で表情乏しく、態度も沈着冷静なところが相俟って。知的で白皙、大人しい青年なのだろと思われがちだがさにあらん。一本気がすぎての一途で頑迷で、一旦動き出すと、間違ったまんまでもお構いなしの猪突猛進をしかねないから、舵取り役が絶対に必要だろう、信じ難いが“論より行動”の猛者…だったりし。そんな末恐ろしいタイプの一途さ込めて、じいっとこちらを見据えてくる以上、勘兵衛への何かしら、遺恨か意趣がある久蔵であるらしく。

 「儂はシチほどにはお主の思考が読めぬでな。話してくれぬと…」

 こちらへは通じぬと、続けかかった言を遮り。シャツの胸ポケットへ白い手を入れ、何やら引っ張り出しながら。よくよく聞けば、実は伸びがあっていい声をしているそれを、かすかに低めたのは真摯さという力を込めたから。微妙な迫力増さして放たれたお声とそれから。椅子の横手へやはり置きっ放しになってた長テーブルの上、ぱしりと置かれた白いもの。何かしらのメモらしいそれに、衝き動かされて此処までやって来た久蔵であるらしく、

 「シチはどこだ。」

 「ちょっと待て。」

 久蔵がそうと訊くに至った文面へ、勘兵衛もまた険しいお顔になってしまった、問題のメモはと言えば……。





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